葬儀について

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喪服が黒い理由

喪服が黒い理由

葬儀のとき、遺族や近親者は黒い喪服を着、会葬者も黒い喪章をつける習慣です。しかし昔は目本でも朝鮮、中国などと同様に白い衣服や白布を身にまとったものです。白色は清浄潔自を表わす色ですから、死のけがれを消すために喪中は白色の麻衣とか、白無地の喪服を用いました。同様に婚礼の衣裳も白い色を用いました。

江戸時代には男性は麻の袴、女性は白無垢の喪服を着ることになっていて、名古屋地方では最近まで喪主夫妻はこの正装をしていました。青森の津軽地方では最近まで親族の女性は頭から肩・腰にまで及ぷ白布や真綿の帽子(ワタボウシ)をかぶり、男は後襟に晒の白布をかける習慣がありました。このように遺族の喪服も、儀礼的には白色の衣装が正装とされた時代もあったのです。

しかし仏教が盛んになり、仏教様式が生活儀礼の中に入ってくるようになって、喪服などの色も変化したのです。インドでは仏教徒の衣は壊色(えじき)といって茶褐色で統一されていたし、今でも南方仏教国の僧侶はみなこの色だけの衣を着ています。しかし仏教が中国に入ると、僧侶は黒色の墨染の衣を着ました。そして俗人は白衣を着たので、僧侶と俗人、または玄人と素人との区別がされました。

仏教が中国で盛んとなり、鎌倉時代に栄西禅師や道元禅師によって禅が日本に伝えられました。道元禅師は生涯、黒衣で過ごされたが、わが国で禅が盛んになり、生活様式に取り入れられることになると、次第に儀礼的正装は黒色に変化し、喪服も白色から黒色に変化してきたのです。

今でも葬儀法要の僧侶や神官は黒衣の下に白衣を着ます。時代の移りかわりによって、またその地域によって、白色が尊ばれたり、黒色が流行したりするもので、必ず一定したものではありません。