葬儀について

← Q&Aトップへ  
← 戻る  
葬式・火葬のおこり

葬式・火葬のおこり

葬式という場合、それは文字通り、ある種の式典・典礼であり、宗教儀礼であるとすれば、ことに仏教でそれらしい形をととのえたのは、はるか後世のことです。

葬送の方法・火葬のおこり
棄葬(林葬・鳥葬)、曝葬、水葬、土葬、火葬など。
わが国の場合は一般に、すべての物には<霊>が宿っているとし、生きている時にはイキミタマがあり、新しく死んだ時にはアラミタマとなり、そして祖先のそれはミタマという考え方があった。特にアラミタマの<たたり>を恐れることと、死後の世界を<黄泉の国>とか、<根の国>国というように、死を<けがれたもの>とする考え方から、忌み嫌うという態度を生み、反面、死をいたみ、霊魂を祀るという考え方とが混入し、また昔からあった農耕儀礼ともかかわりあって、ある特殊な習俗を作ったものとされています。

まず初めは曝葬(風火葬)であったものが、次には<貝塚>。紀元前1・2世紀から、紀元後1・2世紀の間は、大陸交化の移入によっていわゆる弥生式文化がみのり、支石墓といわれる石棺や甕棺による埋葬が始まり、ついで石室を設け、副葬品をそなえた厚葬によって墳丘を広壮なものとする風習が生まれました。

更に時代が下がり、欽明天皇の十三年(五五二)には仏教が公伝され、また儒教の移入のあと薄葬令が出されたのは、大化二年(六四六)のことです。このあたりから、昔の古墳時代にみる葬法が改められ、そして特に仏教にみる火葬が行われるようになりました。

しかし、宗教儀礼としての<葬式>が営まれるようになったのは、更に後世のことで、インドでは七世紀頃になっても、ごく短い『仏説無常経』を読誦して火葬にしたぐらいでした。ところが、日本では古来の風習に儒教的儀礼が加わり、更に仏教僧侶が、主として葬式を司るようになっても、それまでの間、複雑に混入しあった独特の習俗を、そのまま伝承してきたようです。